石川ひとみの『夢番地一丁目』を聴く度、頭にマッピーがよぎるマズルカです。
形態がゲームブログなもんで、ゲームしないと更新頻度下がるのは止む無し。

ゲームしない生活が普通になり、数週間前から、毎日原稿描きやってます。自分で驚いてます。
これまでいかにゲームに創作エネルギーを吸い取られていたかが、よく分かった。

後はネットだ。完全に断絶するのは無理な話で、ネットをする時間帯・制限時間を設け、その計画通りに行動する習慣の獲得・・・。言うは易し。
ああそうだ思い付いた!私にいい考えがある。オプティマスプライム。
ネットを見たおおよその合計時間を、毎日ノートに記録するところから始めてみよう。

落書きに飽きた時アニメ観るのは、そこまで弊害になってないから、まだ考えなくていいか。
ダグラム (総集編以外全部観た)

超力ロボ ガラット、らんま、セーラームーンR (現在地)

魔女っ子メグちゃん (予定)
いつのことだったか、その日、とあるゲーセンにて格ゲーの大会があることを思い出した私は、ちょうど落書きも飽きたところだしと、何となく出かけてみたのである。
駐車場・駐輪場はいっぱい。中へ入ると、人だかりの中心の筐体では、トーナメント予選第一試合が始まったばかりだった。

ちなみに私、その格ゲーは古いバージョンを数年前に少し遊んだきりで、今回は単なる見物人としての赴きになる。腕組まずとも、ベガ立ち勢。

参加者の中には、配信をすれば一瞬で山と視聴者を集められる方もチラホラ。


大会を眺めてて興味を引かれたのが、「実況」と「応援」。

実況
<実況の全体への効果>
「中足!」「飛びが刺さって!」とか、起きた行動を言うだけの実況でも、デカい声で叫ばれると、皆引き付けられて試合を見る。
気が散って好き勝手してるような人は、殆どいなかった。

実況がなければ、大会の一体感を作るのは、相当困難であろう。
逆に言えば、多少ヘタでも、実況は、大会の一体感を生み出せる、割と容易な方法だということだ。


<実況の個人への効果>
普段の生活で、自分の行動を他人から実況される機会なんてのは、まず無い。
この前提がある中、誰かが、わざわざ自分(とその相手)だけのプレイを、一生懸命実況してくれる。
実況には、日々磨き続けた技術を大々的に褒め称えてくれる側面が多分にある。
喋りの内容に余程のことがなければ、ヘタでも気を悪くするプレイヤーはいないのではないか。
まして大会、沢山の注目集まる中での実況。緊張や恥ずかしさもあろうが、士気は大いに鼓舞されるだろう。


<会場との温度差>
近頃、ニコニコ・Ust・Justin等で、格ゲーの大会が配信される機会は多い。
そこでよく見かけるコメントが、実況批判だ。
単純に声量を批判して「うるさい」とか、内容を批判して「他の人に代われ」とか。
PCの画面を通しては、プレイの凄さは伝わっても、会場の熱気までは、なかなか伝わらないのだろう。
だから会場の空気より数段冷めた視線をもって、ややもすると言葉尻を捉えにいったりする。

配信視聴者にまで歓迎される実況をしたいとなると、要求されるものが一気に増える。
膨大な下準備や訓練が不可欠になる。
現在認められている実況者なんてのは、反応を見る限り、数える程度ではないかと思う。
その数人で長丁場の大会を頻繁にローテーションさせるのも、容易ではないだろう。
スタープレイヤー並に、うまい実況者の輩出は、望まれている時なのかもしれない。


応援
緊張を解きほぐし、結束力を高め、士気を高め、集中力を高め、流れを形成する。
応援の効果はこのようなものだと思うが、一発勝負の大会で、しばしば番狂わせが起きるのにも、応援の効果が絡んでいるんだろう。

「大きな声を出して応援することも、立派な戦術である」
誰もが分かっているようで、一人、黙々と家庭用をプレイしているだけだと、これは意外と身に付かない感覚だ。
iPodにLBⅢのサントラ入れて、入れたそれを聴かずに山口百恵聴いて、聴きながらチビた鉛筆で天外Ⅱの原稿の修正の修正をして、修正した絹眺めて絹大好きと思ったり。

腹減ったー。

iPodに天外Ⅱのサントラ入れた時、イメ検で私の殴り描きが引っかかった。Googleのイメ検みたいにテキトーにネットからプログラムが拾ってくるのだろうか、も少しマシなのあったろうとか思う。

おわり。